杉並の沖縄タウンへ…最終回

ポンコツ34@那覇

2006年07月14日 19:30

三線屋で立ち止まった。店番の年配(失礼)の女性と眼が合った。
「お客さん、どうぞ見ていってください」
店に入ろうか?
というか、店はまるで市場の一角で道路?とは境もないからすぐ入れるのだがね。(笑)
がたくさん置いてある。30万とか50万
とか高級三線が目に付くね。
店の方が「茶でも飲んでいきなさい」と言って
茶をテーブルに用意してくれた。
「お客さん、そのTシャツ面白いね。〝三線しましょうね〟って書いてあるね。ひょっとして三線やってるの?」
「はい、独学ですが弾いています」
「あら、独学なんてすごいじゃない」
「私は鹿児島なのですが、県内に教えてくれる人がいないので」
「どうやって練習してるの?」
「ここにあるような本で練習しています」
店には、自分も愛用している【楽しい沖縄三線教室】が数冊置いてあった。
「ああ、この本評判良いね。ウチの生徒もこれで練習してますよ」
こんな会話をしていると、若い男性が小さい娘を連れて店に入ってきた。
「あら○○さん、三線の修理できてるわよ」
若い男性は、修理の直った三線を手渡されると、椅子に座っておもむろに
つまびき始めた。でも、唄は聞こえない。
「僕は三線をリード感覚で弾いています。作曲をするのでね」
聞けばこの男性は作曲を「仕事」としているそうである。
「僕はもともと広島です。だから東京はあまり詳しくない。お宅は?」
店員さんが「この人は鹿児島だって。三線やってるそうよ。あっ、お客さんなんか歌ってください。そこの三線使って良いですよ」
「なら、お言葉に甘えて」
と言いながら、自分は一曲披露した。
もちろん「豊年の歌」だが、数日弾いてないから今回はスローバージョン(?)で唄った。
作曲家の娘が太鼓でリズムを取ってくれる。唄ってて気持ちが良いね。
一曲終わった。
「お客さん、良かった良かった。これ何て歌?」
「豊年の歌で、宮古島の民謡です。実は友人が石垣に住んでいてそいつの影響で三線を始めたのですが、そいつの紹介で宮古島の師匠に出会うことが出来まして、それで覚えました」
「すごいね。何て言う流派? うちの主人は登川流だけどね」
「渡嘉敷先生(仮名)なんですが」
残念ながら、師匠は知られていないようだった(苦笑)。
しかし、毎日師匠格の三線を聞いている人からお褒めの言葉を戴いて
自分の練習が間違いではなかったんだなって、改めて思ったな。
店員さんから名刺をもらった。ご主人の名刺で「登川流関東支部支部長・師範何某」と書いてあった。(ネットを見れば本名はわかりますが、一応伏せます)
外の雨が強くなってきた。帰りの飛行機の時間も迫っている。
さあ、名残惜しいが戻ろう。また、来年、ここへ来ようか?
一瞬の沖縄よ、ありがとう。


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