この道を行けば、那覇へ宮古へ…8
さて、12時も過ぎたし荷物を取りにホテルへ戻ろう。
しかし、このビーチの周りの環境は何?
ラブホテルや連れ込み旅館がいっぱいだな(爆)。
今日は下見ってことかい?
まあ、それは良いとして、ホテル街を歩いて行く。
意外に沖縄料理店や飲み屋があったりして、楽しめる場所なのかもね。
数分歩くと、右側に博物館を見つけた。
のぼりが立っている。
「対馬丸記念館」っていうのか。始めて聞く名前だな。
入ってみようか。
対馬丸記念館。太平洋戦争中の昭和19年8月に、米軍潜水艦の魚雷攻撃で撃沈した
船・対馬丸についての資料や遺品、関係者の証言などが基で作られた施設である。
自分は、対馬丸のことは全くと言ってよいほど、何も知らなかった。
戦時中、沖縄の人たちは戦禍を免れるために、県外への疎開を余儀なくされた。
船にはとりわけ子供たちが乗せられた。
子供たちは希望を胸に出港したはずだが…。
約1800名が対馬丸に乗っていて被害に遭った。
しかし約2割の人は奇跡的に生き残った。
生き残った人たちの証言で、この悲劇が明らかになったそうだ。
というのは、当時の軍部が箝口令を強いていたからだ。
資料館は、ここのパンフレットにも書いてあったが、資料や遺品が少ない。
みんな海に沈んでしまったのであるから。
また、箝口令の影響もあるのであろう。
ここにも、犠牲になった子供たちの写真が飾られている。
ひめゆり祈念館や、知覧の特攻会館での見学を思い起こさせるようだ。
戦争が悪いってことは、それは当然当たり前であるが、
問答無用で、いろんな人に沖縄の真実を見てもらいたい気がする。
集団自決文言の削除、閣僚の原爆容認発言、普天間・辺野古問題…、
今起こっていることが、あまりにも沖縄戦を無視するかのようなことばかりだから。
静かに手を合わせて、建物を後にした。
そろそろ宮古へ行く時間だね。
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