那覇空港に無事着いた。
いつものことだが、どうして沖縄行きのときに限って
ぎりぎりまで仕事が入るのだろうか?(呆)
なんとなく、落ち着かない気分のまま到着した。
さあ、那覇の夜を楽しもうか?
今日はお土産が多いからタクシーでホテルへ行こう。
ターミナルでタクシーを捕まえた。
行き先を告げ乗る。
さすがに8時を回れば、暗くなっているので周りの景色を楽しむことは出来ない。
軍港やそのフェンス、自由貿易区域が見えるのはわかったがね。
携帯の着メロが鳴った。三線の音なので「あっ、ゆまちゃんからだ」と気付いた。
着メロを聞いて、タクシーの運転手が声をかけてきた。
「お客さん、その着メロ三線だね。三線やってるんだ?」
さっき、トランクに積んだべさ…。
「お客さん、どこから来たの?」
「鹿児島です。三線の稽古をしにきたのですよ」
「鹿児島ねえ」と吐き捨てるようにつぶやく運転手。
「三線だったら、お客さんは鹿児島なんだから奄美に行けばよいじゃない?」
「師匠が宮古島なんですよ」
「ていうか、もともと奄美は沖縄だったんだ。それを薩摩が侵略しやがって! 奄美を返してほしいよ!」
まだこの辺までは、自分も笑顔で応対していた。
「そうですね。運転手さんの言い分もわかりますが、僕ら子孫は仲良くすればよいじゃないですか?」
「韓国と日本の関係わかる? 韓国はいまだに日本の侵略を許さないでしょう? それと同じだよ。沖縄は薩摩を許さない」
「言い分はごもっともですが、私は観光で来ているのですから…」
「君ね、安倍総理がこの前の選挙で福島だけには応援(演説)に行かなかったでしょう?」
「それは戊辰戦争の恨みつらみが残ってるからでしょう? でも、公式には両県は和解したはずですよ」
さすがに、腹が立ってきた。この論戦を受けて立とうという気になった。
「確かに戊辰戦争の傷は深いでしょう? でも運転手さん知ってます? 薩摩が庄内藩を降伏させたときのこと。
西郷隆盛は、負けた相手方にさらに追い討ちをかえるような措置をしなかった。寛大な処分をしたのですよ。そのことでね、
西南戦争のときは、薩摩軍に庄内藩の兵士が加わって戦って、殉死したのです。それほど、薩摩の当時の措置は感謝されたんですよ」
「…」
「西南戦争に薩摩軍は敗北して西郷さんも亡くなりましたが、その兵士を祭ってある神社にはですね、庄内藩の兵士の墓もあるのです。
今は、鹿児島と山形の鶴岡は友好都市の関係ですよ。なんでもかんでも薩摩が悪いと決め付けないでほしいな」
歴史の論戦なら、俺は負けない。
「私は、奄美を沖縄に戻せと言っているのだ」
「だったら奄美の人たちと意思統一すればよい。っていうか、あなた、お客に大して失礼じゃないか?」
ホテルに着いた。料金は1000円程度だったが、ほんと頭に来ているので、わざと1万円札を出してやった。
「おつりないですよ。小銭はないですか?」
「俺は客だ。つりをかき集めろよ!」
嫌な客になってしまったが、仕方ない。けんか売ってきたのはそっちだろ?
車のナンバーと会社名を控えておけば良かったな…。
まあ、こんなことは例外なのだろうが、今後も売られたけんかは買うだろう。
沖縄をキライにはなりたくないが…。
ホテルに着いた。のっけから不快感が支配しているな?
今回のツアーが心配だ…。