5月19日(木曜日)バスターミナルから今日は読谷村へ。残波岬へ行く。
初めて沖縄本島をドライブしたときは楚辺通信所・通称ゾウのオリを見学しただけで、
あとは素通りだったから。
残波岬灯台上った。足が棒になった。今日も良く歩いている。
嘉手納で下車して街中の沖縄そばやで飯を食う。
昼から年配のうちなんちゅさん2人がカウンターで酒飲んでいる。
今日は絡まれることはない。そのあと道の駅かでな、まで歩く。
途中轟音が鳴り響く。基地からハリアーが4機ずつ、2回に渡って飛び立っていった。
戦闘機の姿を見た瞬間は背筋が凍りついた。こんな爆音を一年中住民は経験しているのかと思うと、
一日も早く平穏な日々が取戻れるように祈らずにはいられない。
夜は琉球ホールで竹中労さんをしのぶ会で、大工さんや、知名定男さん、
美佐子先生らをはじめとして豪華唄者がライブ。元たまの知久さんのウクレレぽいギターにも癒された。
で、何はさておき、宮古民謡の第一人者である国吉源次さんのステージにはただただ衝撃。
しゃべりはおもろいし、80過ぎとは思えん。三線プレイも迫力があるし、あの独特の高音も健在!
5月20日(金曜日)今朝は二日酔い。昨晩の島思いで飲んだからな。
知念先生に「ちょんちょんキジムナー」の歌持ちを教えていただいた。
「左手の親指は立てて!」と念を押された。
「音が(聴き)とれるようになったら、歌いながら弾いてみなさい。毎日少しずつやりなさい」
とありがたい指導。午前中は軽く三線を弾き、また那覇市内を散歩。毎日けっこうな距離を歩いているな。鹿児島での生活では車ばかりで歩くことをしなかったからな。無理せず歩かないとね。
夜はブログで知り合った上杉kenshinさんに誘われ、焼き鳥や→会員制泡盛専門店→民謡ステージ歌姫
→ステーキハウスとはしご。
謙信さんは年間20回以上那覇通いをしている強者で、
どこの店でもマスターやオーナーさんと顔なじみだ。
ポンコツに代わって、「この人今度那覇に定住しますから、よろしくね」とのこと。
我如古より子さんとも会話した。
「これからも店に来なさい。ここは金融機関のエライ人も常連でいるし、
きっとアナタの営業にプラスになるでしょう」
と暖かい言葉をいただいた。歌姫ブログにはしっかり俺の顔が掲載されている。
俺は、写真写りは良くない。
5月21日(土曜日)今日は本来なら半日は寝ていたいんだけど、
数日前から両腕と腹に多数の湿疹が出て、昨晩も
痒くてしかたなかった。飲みに集中できなかったってこと。
ネットで近くに皮膚科がないかと探して松尾にある病院へ。
大繁盛で待合室には座れず立って待つ。
1時間くらいでようやく出番。「どこか自然のある場所へ行きましたか?」
「沖縄はけっこう虫からやられますから、気を付けて。
強めの薬を出しておきますから」
しばらく塗薬と飲み薬を併用しなさい、運転厳禁だよとのこと。
午後は薬の影響もあったのかたっぷり昼寝。夜はレシピを観ながらひき肉カレーを作って食べた。
暗くなってからは平和通りまで散歩。サーターアンダキーを買ってきた。
少し地元に染まってきたかな、客引きがたくさんいたけど誰も俺には声をかけなかったね。
5月22日(日曜日)那覇に来て2週間経った。そろそろ不動産屋周りをしないとなと思い、出かけたが、
那覇の不動産屋は日曜日が休みのようでどこもやっていない。
しかたないな。意気込みは空回りだ。
平和通りを歩いて帰ってくる。午後は小禄のイオンにお買いもの。
初めてかりゆしウェアを買った。店の人にアドバイスをもらって、ビジネス用に買ったつもり。