鹿児島にモネが来た…最終回

ポンコツ34@那覇

2006年12月18日 21:08

俺の部屋に戻ったが、別にモネと重なって寝るわけじゃない(笑)
(誰もそんなこと聞いてないか…)
モネは俺の部屋に寝てもらい、自分は母屋に寝るのだ。
(我が家では、私は離れ小屋に普段居るのだ)
モネに「パソコンはこれ、DVDはこうやって観て…」ってな感じで一通り説明をした。
「明日すまんが俺は仕事だから、適当に起きてくれれば良い。熊本までは直行バスがないから、鹿児島から空港まで行って、空港で人吉行きのバスに乗って、人吉まで行けば熊本行きがたくさんあるから」
モネは明日は鹿児島から熊本まで行き、その後は九州を北上しながら埼玉の実家まで戻るそうだ。
「モネ? 多良間の師匠に電話してみるべ」
電話をかける。出たのはゆまちゃんだった(嬉)。
「ゆまちゃん? 鹿児島のポンコツだけどわかる?」
「うん、ポンコツ? 来年ゆまが島を離れる前に多良間島に来てね」
「わかった。必ず行くよ。今日はね、モネが鹿児島に来てるから」
モネが電話に出た。会話が長い(苦笑)。
どうやらモネのほうが付き合いも長いから話がしやすいようだ
で、また俺が出て「師匠は居る?」
「お父さんは飲みに行ってる」
「じゃあ、おっかさんに変わって」
美和子ママ(仮名)が出た。
「ポンコツ君、元気? 私は大変だったのサー! 骨折っちゃって(笑)」
ってな感じでおっかさんは話をしまくる。どうやら俺をお友達と思っているらしい(笑)。
「来年ちゃんと畑を手伝いにくるんだよ」
ってなことを言われて、やっと電話が終わった。
モネも疲れているようだ。でも、船酔いはやっと収まったらしい(呆)。
「明日はモネが起きるころは自分は仕事に行っているだろう。また来年だね」
「うん、今日はゆっくり寝かせてもらう」

翌日、仕事を終えて帰宅すると、一枚の紙切れが机においてあった。
めくるとモネのメッセージが書いてあった。
「ありがとう。良い意味での“不惑”を迎えられるよう、前だけを見て生きていきたいね…。ではまた。モネ」
とのことだった。
そう、草加南高校時代からの付き合いがここまで続いて、来年は不惑なのかあ。
何度も思うが、三線と結びつけてくれたモネの存在がなければ、俺の人生はつまらないもので
終わっていただろう。そう考えると、お互い回り道しながらも、沖縄・三線にたどり着けたことに
感謝をしなければならないんだな。
また、来年の狂演目指して、師匠やみやらび交えての楽しいひと時を目指して稽古に励むか。


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