それでも宮古か? 多良間か? たらまー最終回

ポンコツ34@那覇

2007年10月21日 20:54

車を借りていったん「あだん」まで戻った。
ここで荷物をまとめたり、作業着を梱包したり。
色黒の中年男にもらった、ドラゴンフルーツはそのまま持っていこう。
検疫は大丈夫だったよね?
部屋のかぎを引き渡し、南の方角へ車を走らせる。
夢の愛車・アベニールは中古えで10万で買ったとのことだが、
師匠のボロ軽トラックや、美和子ママのボロ軽自動車よりははるかに快適だ(笑)。
たらまゆがふランド(まだ営業してるのか?)を過ぎて、「報恩の碑」に到着した。


ここは、2年前初めて多良間にやってきたとき、モネが案内してくれた場所だ。
あのときは、モネが住んでいるという理由だけで多良間に来たので、
こういった名所史跡には興味がなかった。
この2年ですっかり沖縄病が進行した俺は、多良間病にも侵されているということだけは
わかったね(苦笑)。

時は江戸時代、この地に岩手県宮古の漁船が漂流してきた。
漂流中ずっと飲み食いできず着の身着のままの船員たちを
当時の多良間人は丁重にもてなしたという。
その事実が後世、関係者に知られることとなり、多良間村と岩手県の宮古市は
友好都市の関係になったとのこと。

思えばこのポンコツ君は、初めてのひとり旅(宿泊を伴う)は岩手の宮古だった。
この世の極楽とも称された浄土が浜をはじめ、見所が多かった岩手の宮古。
あのとき、まさか20年経って南の宮古に興味を持ち何度も通うように
なるとは、ほんと予想していなかったな。
まあ、ポンコツのでたらめな人生の副産物かもしれないが。
海を眺めながら、“これでよかったのかな? よかったのかな”
と自問自答するのであった。
あの海の向うは石垣島だ。ちょっとここは石垣へ
新しい発見を探しに行ってみようか。


そろそろ飛行機の時間だ。空港へ向かおう。
島を北上し師匠と夢が居る畑のそばまで来た。
ああ、よく見える。ふたりでキビ苗を植えているね。
機械もよく稼動しているようだ。
師匠たちは作業に集中しているのか、俺の存在には気付かない。
“将来ここに住むために、一時離れますよ。その日までお元気で…”
そんな思いを込めて、クラクションを鳴らし、その場所を走り去った。
このクラクションは、どう捉えてもよい。
それは、再会の祈願かもしれないし、ひょっとしたらとの決別かもしれないしね。
いずれにせよ、一時、鹿児島で現実に向き合おう。
その日まで、多良間よさようなら…。




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