三線ライフその3

ポンコツ34@那覇

2006年04月06日 21:56

石垣島に行こうと思ったきっかけは、モネが誘ってくれたのもあるが、本当は「島にでも行って気分を変えてこないと…」っていう気持ちがあったからだ。


この頃、自分はだいぶ民謡・島唄というものに免疫もついていたのだ。
鹿児島にモネが来たとき、俺にみやげでCDをくれた。
そのCDは八重山民謡の唄者・大島保克の衝撃のデビュー盤・「北風南風」であるが、そのCDをカーステでかけていると、当時付き合ってきた恋人が「そんな眠くなる歌かけないで…」なんて言っていたものだ。
その恋人とは、結婚の話が具体化していたが、実は多額の借金を抱えていることが判明して、俺は鬼・いや悪魔になって自己破産をさせた。
「あたなとは、恋人として付き合っていきたいけど、結婚はしない」とそいつは言った。
俺は抜け殻になるしかなかった。何のために突っ走って来たのか? って。
「そうだ、モネの誘いにのって石垣島へ行こう。何か今後の道が開けるかもしれない」
石垣島では、たくさんのの音に触れることができた。
モネは地元の古典民謡コンクールに出演した。
コンクールを何時間も見学した(?)おかげで、の音が俺にとってすっかり心地よいものになっていた。
モネのご好意で、モネの通っている民謡研究所も見学することができた。
小学生から大の大人までたくさんの人がの輪でつながっていることに俺は多くの感銘を受けた。
でも、そのときは、まだを弾こうっていう気が起きなかった。
石垣島から戻ってから、その思いが高まっていったんだ…。

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