2006年宮古へ、多良間へ…最終回

ポンコツ34@那覇

2006年05月09日 21:24

2月20日、月曜日。
相変わらず頭が痛いし、腹を下しながら起きた。
でも朝食は食べよう。
食堂へ行く。は止んでいるようだ。
今回のツアーも雨に泣かされたなあ。
やっぱり自分は雨男なのかもしれないね。



食事をしてから部屋へ戻り、撤収の準備をする。
パティオのコテージは一棟につき三部屋あるが、昨日からは
牛のセリに携わる人が数名別の部屋に泊まるよと、聞かされていた。
なので、共有スペースはできるだけキレイにしていたのだが、誰も起きては来ない。
っていうか、セリが朝早いためもう出発したのだと受付の人に聞かされた。

受付から有償運送に電話する。
「役場の前に10時に迎えに来てください。一便に乗ります。ポンコツです」
と告げ、料金の凄惨いや精算をした。
さよならパティオ…。



パティオからは昨日の晩言われていたように師匠の勤務先まで荷物を持って歩いた。歩くと思ったより遠い。
でもこれでアルコールが少し抜けるかな?
師匠の勤務先・公民館に到着した。
師匠を始め数名の人が働いている。
「師匠、昨日の晩もありがとうございました。頭が痛いです」
「ポンコツ君、時間は大丈夫だね? ちょっと手伝ってくれ」
師匠は自分を別室へ案内した。
その部屋には壁にが数本飾られていて、工工四も置いてある。
何なんだ? この部屋は?
「ここで三線教室をやっているんだ」
師匠はテーブルを片付け、アンプ内臓スピーカーを用意し、マイクをテーブルにセットした。
「ポンコツ君、今から録音を始める。君のを出しなさい。音は君のキーに合わせたほうが練習がしやすいだろう」
「師匠? 今から録音ですか? 仕事しないで大丈夫ですか?」
「そうだ。大丈夫だ」
師匠は自分の三線を手にした。
「ポンコツ君、録音スイッチをオンにしなさい」
自分が録音ボタンを押すと、師匠が歌い始めた。
生演奏だ。自分は師匠の前に移り、食い入るように師匠のプレイを見た。
「ポンコツ君、一曲終わったから一時停止をかけなさい」
「よし、次の曲やるぞ。ボタン押して」
師匠はこのようにして、計4曲録音してくれた。
モノラル録音だが(笑)、自分にとってはまさに〝生きた音源〟である。
「ポンコツ君、これを毎日聞いて次回ここへ来るときまでに出来るようになっていなさい」
得体の知れない親不孝街道爆進中の俺には、師匠の心配りがとても暖かく感じて、沖縄人の精神をひとつ垣間見た気がして、嬉しいという気持ちと、これからしっかり練習しなければ…、という思いがごちゃごちゃになるのを感じつつ、迎えにきた有償バスに乗り込んだ。
また多良間の空気を感じに来たいものだ。
ってなわけで、2006年宮古へ、多良間へ…の執筆を終えようと思う。
みなさんありがとうございました。

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