また多良間か? たらまー最終回

ポンコツ34@那覇

2006年10月29日 21:47

旅の最終日は、宮古島でようやく日差しが射して、良い天気になったのだが、
それもつかの間、小雨もぱらつく。
雨宿りを兼ねて、A&Wへ入った。店はガラガラ。
コンボセットを注文。飲み物はもちろんルートビア。
この味はクセになるなあ。

ルートビアを飲む。
頭の中ではこの4日間の思い出がよみがえってくる。
嗚呼、宮古島の美しい風景をもっと記録したかった。
まさか、カメラが壊れているとはね。
ブログに書き忘れたけど、仲宗根豊見親の墓や人頭税石も見学したね。
宮古の唄を歌うためには、唄の背景を知る必要がある。
沖縄本島とは違う、宮古島の歴史に。
従属の歴史だった宮古島。
そう、まるで薩摩が奄美諸島を支配していたようなことが、沖縄本島と宮古島との関係でもあったようだ。
さあ、宮古を後にしよう。
今度こそ、宮古島での滞在時間を増やそう。
今回のリベンジを果たすために。
もっと素敵な風景にどっぷり浸かりたいからね。


さっき買った宮古民謡歌詞集を読もうか?
ペラペラとめくってみる。
歌詞の意味がわかって、少し唄に思いが入るような気がする。
今まで歌っていた自分の宮古民謡は、まだまだ思いが足りないね。
島の歴史、人々、風土、唄になった背景…、いずれもこつこつ勉強だ。
せっかく、宮古民謡を始めたのだ。この道を続けていきたい。そんな気になった。

那覇まで戻ってきた。ここでは2時間程度の待ち合わせ時間。
市街地まで行くには時間が足りない。
ターミナルでムラムラ、いやブラブラしよう。(笑)
ファミマがあった。沖縄の雑誌でも読もうか?
あれ? 与那覇徹が表紙になっているな。
読んでみようか?
彼のインタビューが載っているね。
その中での彼の言葉には心が洗われる思いがした。
「基本が出来ていないのにオリジナイティを追求するのは御法度です。弟子の稽古で師匠が誰だかわかるまで稽古を積む必要があります。これだと思った師匠に出会えたら、信じて付いていくべきですね」
実は、今回の多良間島ツアーを区切りとし、今後は別の道を…なんてことも帰りの飛行機の中で考えていた。
ネットで検索すると、鹿児島県(本土)にも琉球古典の研究所があることが判明したし、
また8月だったっけ、熊本まで行ったけど熊本でノーリーこと金城師匠に習おうか?
なんて考えもあったんだ。
でも、与那覇さんのインタビューは自分の迷いを一掃してくれた。
これからも多良間島通いを続けていこう。
コンクールに出る出ないってことより、師匠や多良間島での人との出会いを大事にしていこう。
うん、「破局」で俺の幸せは掴めずに終わったと思ったけど、もうひとつの道が、大切なものがあったんだね。
俺が、俺でなくなる必要はなかったんだね。
やっぱ、音楽からは離れられないんだね。
それがわかったんだね。ありがとう、沖縄。ありがとう、多良間。
9月5日、鹿児島に戻った俺はすでに仕事に復帰した。
仕事がたまっていて泣きたくなる。
夜になり、職場の同僚はみんな帰っている。
フロアには自分しかいない。
年内は多良間へ行けないんだな…、心なしか寂しい。
そうだ、師匠に別れのあいさつをしていなかった。
ふと師匠へ電話した。
「師匠、今回はありがとうございました。おとといの晩は師匠が先に寝てしまって挨拶もしていなかったので」
「今日鹿児島に帰ったのですか?」
「いえ、昨日の晩です。今日から早速仕事に復帰しています」
師匠、また多良間へ行きたいです…って言おうかと思っていたのだが、その気持ちが師匠にはわかっていたのだろうか?
「そうかい。ポンコツ君、今は仕事を頑張りなさい」

その言葉は俺には、「ポンコツ君、しっかり新しい課題曲をマスターしてから来なさい。宮古も多良間も、民謡も自分も逃げることはないから…」そんなメッセージを感じ取ったのだ。
静かに電話を切った。
天気は悪く、写真は失敗し、思ったほど稽古の時間もなかったが、やっぱり多良間が好きなんだな。きっと多良間にとろけちゃったんだな。

やっと完結しました。
嗚呼、もう沖縄ネタはないぞ!
しばらくはのんびりだな…。
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