フロントで凄惨いや精算して、荷物を置かせてもらってからジロー村へと歩いた。
宮古島市役所を過ぎ、小学校が見え、裁判所や地元の新聞社を通り過ぎる。
この通りに、宮古の行政や商業の施設が集まっているようだ。
モネとふたりでとりとめのない会話をしながら、歩いていく。
飲み屋も結構多い。次回以降は新しい店を開拓してみようかな。
どこまで歩くのだろう、タクシーのほうが良かったかな…って思った頃、
モネが左の路地に曲がった。
「ここまでくればあと5、6分サー」と言った。
民間の職業紹介所があった。どうやら県外の求人案内のようだ。
やっぱり島では仕事がないのであろう。移住の夢に対する現実を見た思いだ。
ここまで歩いてくる途中でも、シャッターの閉まった店がけっこうあったし、
昔は建物があったのだろうが、キレイに更地になっている場所もあったし、
宮古の現実を知った思いだな。
「ポンコツ? ここがジロー村さ。事務所に入って大丈夫だよ」
入り口を開け、「昨日民謡コンクールで表彰状の修正を頼んだポンコツですが…」と言うと
「あっ、これですね。合っていますか?」と沖縄顔の女性から表彰状を手渡された。
「今度は誤植はありません。ありがとうございました」
と言ってここを後にした。
「モネはこのあとどうするのかい?」
「石垣へ戻るけど夕方まで飛行機はない。伊良部島へ行ってみようかな?」
「そうか、伊良部島かあ。自分も機会があったら行きたいね」
再び同じ道を歩いて旅館へ戻る。
このブログでも何度も言っているが、モネとの出会いが今の俺の根幹をなしている。
それは否定しない。
ここまでの、沖縄での出会いとか三線、コンクールまでの道は、モネの敷いてくれたレールにうまく
自分が乗っかってきた結果であろう。
そろそろ、モネ・コネクションで築き上げた沖縄・宮古・多良間への道ではなく、
独自のルートでこの島に、いやこの島になるかはわからないが、何かを作っていかないといけないな。
“これがモネとの最後になるかな?”
そんなことを思いながら、旅館までの道を歩いた。
「ポンコツ? 鹿児島まで気をつけて帰ってな。僕はこれから伊良部島へ行くよ。おいしい魚でも食べてくるサー!」
モネは平良港のほうへ歩き出した。
“これがモネとの最後になるかな?”
そんな予感がしたのか、モネの姿が坂を下って見えなくなるまで、控えめに手を振り続けた。
そして、タクシーをつかまえて空港へ向かった。
今回は、美和子ママもゆまちゃんも見送りには来てくれなかった。
残念だが仕方がない。
また来る日までさよならだね。
宮古空港から飛行機が離陸した。しずかに誰に対してでもなく、
手を振り続けた。
ツアーは終わりではない。那覇でもう一泊あるのだからね。