この道を行けば、那覇へ宮古へ…16

ポンコツ34@那覇

2007年07月15日 13:28

渡嘉敷ファミリーは、多良間に居るときと同じテンションで
メニューの段階から“争い”をはじめた。
お弟子さんのうち、学校の先生は、宮古に実家があるとのことだったので、
もう一人の中年男の面前に座った。
中年男(以下、池海さんと称す)が声をかけてきた。
「渡嘉敷先生とはどういうつながり?」
「僕の友人が多良間に一時住んでまして、遊びに来たのがきっかけです」
「それって、モネ君のことじゃないですか? 元気にしてるかな? 彼とはね、コンクールの新人賞を
一緒に受けた仲だよ。ふたりは“なりやまあやぐ”だったから」
「そうなんですか? モネを知ってましたか?」
「モネ君は有名人サー! 多良間でモネ君知らなかったらもぐりサー!」
改めてモネの多良間での功罪? を知った思いだな(笑)。


さて、もめていた渡嘉敷ファミリーも、やっとメニューが決まり、乾杯だ。
もちろんポンコツ君と美和子ママは生ビールで(笑)、師匠や池海さんははじめから泡盛を飲んでいる。
ボトルがキープしてあったようだが、これは美和子ママの分だ(呆)。
いつものように、このファミリーは良く食べ良く飲み、良くお互いを罵倒する(笑)。
ヤンママ夢は一年前とは違い、子供を罵倒することもなく、あやしつけてはご飯を食べさせている。
「リリー? ポンコツのおっちゃんに抱っこしてもらいな」
僕も「リリー、リリー、お兄さんのところへおいで?」
と言ったけど、風貌が怖いのか(苦笑)、近寄ってはくれない。
それを見てみんなで笑っている。
渡嘉敷ファミリーは、ゆまの高校入学後は、師匠と夢親子が多良間に残留し、
美和子ママとゆまが宮古に住んでいるという、二重生活であるようで、
今日は久々の家族再会のようだ。
師匠は、かわいい孫には目がないようで、リリーとまりかを交互にあやしては抱っこして
ご飯を食べさせている。

うん、今年の一月に多良間に来たときは、このファミリーの良い意味での“ルーズ加減”に
付いていけないと思っていた自分であったが、
今思うと、それは憧れの裏返しだったのかもしれない。
我がポンコツ家は、「食事は黙って食べろ!」の家系だったし、女性が男性に意見することすらできない
“九州・男尊女卑”の思想が色濃く残っていたからねえ。
やっぱ、食事は楽しくみんなでワイワイするものだよ。
貧乏だって良いんだ、頭悪くたって良いんだ、おかずを床にこぼしたって良いんだ、みんなが楽しければ。
みんなと居るこのときが幸せならば。
子供が一番の宝物だ。この家では子供が一番偉いんだ。
決して父が一番で、母は主従の立場で、子供は飯を食わせてやってるんだから、居候なんだ…、嫌なら出て行け!
という考え方は間違っている。
でも、そういう家系に育ってきたポンコツ君は、この場所、渡嘉敷ファミリーと食事をしているこの場所に、
自分の憧れを見た思いがして、
しみじみとビールを飲みながら、“遠くない将来、こういう場に毎日居ることになるかもな。ここがひょっとしたら
ポンコツの“帰る場所”になるのかな…と感じていた。

場は盛り上がって、ハイテンションの美和子ママは「ポンコツ君、次も行くよ。まだOKだよね?」
「ママ? 民謡酒場へ行きたいですが」
師匠が口を開いた。「では、この次は“ぶんみゃあ”へ行きましょう。ポンコツ君、たまには息抜きサー! ショウを観に行くよ」
ぶんみゃあかあ? 懐かしいなあ。去年の2月以来だね。
あのときは、与那国島人に絡まれたが(怒)、今日はリベンジだね。

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