この道を行けば、那覇へ宮古へ…19

ポンコツ34@那覇

2007年07月19日 22:47

車から三線なり衣装なりを降ろして会場に入る。
今日はコンクールという晴れ舞台なのに、会場の外にも入り口にも
何にも案内がない。
ポスターが掲示してあるわけでもないし、ウマが立ててあるわけでもない。
これじゃ、一般の人はわからないだろう。残念だな。
師匠の後ろを黙って付いていく。
会場はJAの建物の2階のようだ。
階段を上ると立派なホールが見えてきた。ここでするのか?
師匠はホールには目もくれず、一目散に歩いていく。
体育館のような作りのホールであり廊下だ。
ステージの裏側には立派な控室がいくつもある。
中には「新郎控室」なんて案内もある。
どうやらこのホールは冠婚葬祭にも使っているらしい。
大きな控室に着いた。
すでに他の研究所の弟子というか、今日の出演者だろうか?
20人くらい着ていて、ある者は三線を弾き、ある者は着付けをし、
ある者は携帯をし…といった状態である。
「ポンコツ君、池海さん。9時過ぎから審査は始まりますが、ポンコツ君は出番が早いからもう着物に着替えましょう。
池海さんは優秀賞だからあとで良いでしょう。ポンコツ君、とりあえず着替えなさい。帯は着付けの出来る人に
巻いてもらいましょう…」
師匠に言われるままズボンを下ろす(笑)。
若いギャルもいるがどうせ誰も見ちゃいないや。着替えるべ。
そこに、多良間の学校の先生(以下、柿鼻さんと称す)もやってきた。
「垣鼻さんも新人賞だったね。着物に着替えてください」と師匠が声をかけた。


そういえば、コンクールの出場料は新人賞で7000円だった。
これは申込時に師匠が立て替えてくれたので、自分はコンクール前日の
“飲み屋”にて支払いをしました。
うーん、八重山民謡コンクールはもっと安かった気がするが…。
内訳は、当然審査料であろうが、民謡保存協会への入会費年会費、それに当日もらった表彰状の額縁
代にもなっているのであろうな。
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