この道を行けば、那覇へ宮古へ…23
大ホールへ入ると、ちょうど普及奨励賞の審査中だ。
まだ小学生の女の子だな? 「豊年の歌」を一生懸命歌っている。
ギャラリーの人もけっこう居て、コンクールというよりは、発表会のようだ。
良く観察すると、みんな歌を口ずさんでいるし。
こんな光景は、八重山では見られなかったので、ちょっと拍子抜けか。
でも、これから演奏する自分には、好都合か。
八重山のコンクールのような、“公開処刑場”の雰囲気は感じられない。
ステージに注目しよう。
女の子が三線持って、立って歌っている。(この辺は立って歌うことに慣れているようで感心だ)
その斜め後ろ、約3メートルくらい離れた場所に、伴奏者が居て、この人も三線を一緒に弾いている。
ただし、伴奏者にはマイクが備えられていない。
このようなスタイルを採っているわけは、①演者が歌に専念できるようにする、②三線は間違えても(勘所を
忘れても)伴奏に合わせればよい…という審査方針であるようだ。
別の女の子がステージに上がる。
この娘はちょっとしてまだ幼稚園生かな?
こんな小さい子も三線やってるのか!
民謡の島・宮古島を象徴しているかのよう。
この娘も「豊年の歌」を歌っている。
ただ、途中歌詞を忘れたらしく、たどたどしく歌う姿がまたかわいいねえ。
審査員の方も微笑んでいる。
やがて、この子は再び一番に戻って歌いだしたので、後ろの伴奏者がまたそれに合わせている。
ギャラリーの人はとても温かい。
一緒に歌ったり、手拍子で励ましたりと、“やっぱこれは発表会だな”ってな雰囲気が会場を包んでいる。
そんな感じで自分も食い入るようにステージに注目していた。
すると、息を切らせながら人が向かってきた。
多良間の弟子・柿鼻先生だった。
「ポンコツさん、もう出番ですよ。貴方を探してたのです。すぐ控室へ」
慌てて控室に戻ったら師匠が
「ポンコツ君、どこへ行ってたの? 怖気づいて敵前逃亡したかと思ったよ! すぐ準備しなさい!」
関連記事