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2007年07月04日

この道を行けば、那覇へ宮古へ…8

さて、12時も過ぎたし荷物を取りにホテルへ戻ろう。
しかし、このビーチの周りの環境は何?
ラブホテルや連れ込み旅館がいっぱいだな(爆)。
今日は下見ってことかい?
この道を行けば、那覇へ宮古へ…8

まあ、それは良いとして、ホテル街を歩いて行く。
意外に沖縄料理店や飲み屋があったりして、楽しめる場所なのかもね。
数分歩くと、右側に博物館を見つけた。
のぼりが立っている。
「対馬丸記念館」っていうのか。始めて聞く名前だな。
入ってみようか。

対馬丸記念館。太平洋戦争中の昭和19年8月に、米軍潜水艦の魚雷攻撃で撃沈した
船・対馬丸についての資料や遺品、関係者の証言などが基で作られた施設である。
自分は、対馬丸のことは全くと言ってよいほど、何も知らなかった。
戦時中、沖縄の人たちは戦禍を免れるために、県外への疎開を余儀なくされた。
船にはとりわけ子供たちが乗せられた。
子供たちは希望を胸に出港したはずだが…。
約1800名が対馬丸に乗っていて被害に遭った。
しかし約2割の人は奇跡的に生き残った。
生き残った人たちの証言で、この悲劇が明らかになったそうだ。
というのは、当時の軍部が箝口令を強いていたからだ。

資料館は、ここのパンフレットにも書いてあったが、資料や遺品が少ない。
みんな海に沈んでしまったのであるから。
また、箝口令の影響もあるのであろう。
ここにも、犠牲になった子供たちの写真が飾られている。
ひめゆり祈念館や、知覧の特攻会館での見学を思い起こさせるようだ。
戦争が悪いってことは、それは当然当たり前であるが、
問答無用で、いろんな人に沖縄の真実を見てもらいたい気がする。
集団自決文言の削除、閣僚の原爆容認発言、普天間・辺野古問題…、
今起こっていることが、あまりにも沖縄戦を無視するかのようなことばかりだから。ムカッ
静かに手を合わせて、建物を後にした。
そろそろ宮古へ行く時間だね。



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Posted by ポンコツ34@那覇 at 22:04│Comments(0)沖縄旅日記
 
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