2008年02月17日
鶴見で沖縄か? 4
三線
を爪弾きながら、もう一方の男女グループの会話を聞いていると
どうやら沖縄出身者もいるようだ。
顔も沖縄顔していたしね(笑)。
ただカラオケは演歌になったが。
オリオン
とシークァーサー割りを飲んですっかりほろ酔いになった自分は、
「19の春でも歌いましょうか?」とさっきの女性店員に声をかけた。
「お客さん、沖縄知ってるね。一緒に歌いましょう」とのことで
マイクを2本用意して(笑)、歌い始めた。
歌い終わると、「お客さん、この歌ね結構哀しい歴史があること知ってる?」
「いえ、田畑義夫さんのイメージが強いので…」
「君の世代だとそうだよね」とここで、店のマスターが会話に「参戦」してきた。
マスターは、沖縄顔ではなく、どこにでもいるような中年顔だ(笑)。
どうやら女性店員とは夫婦のようだ。
「テレビで放映してたけど、この番組見てみようか? いろんなことがわかるから」
テレビ画面
に映し出されたのは、ハイビジョンで放映された特番だ。
「19の春」の歌のルーツを探る番組だった。
鹿児島の与論島から九州へ出稼ぎに来た労働者が、島を懐かしむ気持ちを口ずさんだ…との
内容が紹介されていた。
結局、与論島は薩摩の「食い物」になっていたから、貧乏生活を余儀なくされていたわけだ。
ここでも、薩摩と琉球のカナシイ歴史を素通りせずにはいられない。
世論島だけでなく、この19の春の旋律は奄美の他の島でも歌い継がれていたらしい。
それが、戦後になって、ヒット曲として統一されたのだろう。
普段、ポンコツ君もイベントとかでこの曲を歌ってきたけど、
いかに何気なくやっていたかだな。
反省しながら飲む泡盛であった…。


どうやら沖縄出身者もいるようだ。
顔も沖縄顔していたしね(笑)。
ただカラオケは演歌になったが。
オリオン

「19の春でも歌いましょうか?」とさっきの女性店員に声をかけた。
「お客さん、沖縄知ってるね。一緒に歌いましょう」とのことで
マイクを2本用意して(笑)、歌い始めた。
歌い終わると、「お客さん、この歌ね結構哀しい歴史があること知ってる?」
「いえ、田畑義夫さんのイメージが強いので…」
「君の世代だとそうだよね」とここで、店のマスターが会話に「参戦」してきた。
マスターは、沖縄顔ではなく、どこにでもいるような中年顔だ(笑)。
どうやら女性店員とは夫婦のようだ。
「テレビで放映してたけど、この番組見てみようか? いろんなことがわかるから」
テレビ画面

「19の春」の歌のルーツを探る番組だった。
鹿児島の与論島から九州へ出稼ぎに来た労働者が、島を懐かしむ気持ちを口ずさんだ…との
内容が紹介されていた。
結局、与論島は薩摩の「食い物」になっていたから、貧乏生活を余儀なくされていたわけだ。
ここでも、薩摩と琉球のカナシイ歴史を素通りせずにはいられない。
世論島だけでなく、この19の春の旋律は奄美の他の島でも歌い継がれていたらしい。
それが、戦後になって、ヒット曲として統一されたのだろう。
普段、ポンコツ君もイベントとかでこの曲を歌ってきたけど、
いかに何気なくやっていたかだな。
反省しながら飲む泡盛であった…。


Posted by ポンコツ34@那覇 at 16:09│Comments(0)
│沖縄コラム・散文