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2006年08月31日

恥めてのおきなわ…34

俺の悪友(阿久悠ではない)のモネは、かつて俺に「日本人なら知覧の特攻会館へは一回観に行ったほうが良いよ」と言っていたが、その言葉は、ここひめゆり資料館にも当てはまるだろう。
傷ついた兵士の世話をするにも、薬品も水も満足にいきわたらない。そのような兵士が次々防空壕に運ばれてくる。手当ての施しようのない兵士は青酸カリを飲まされ、「強制処置」される。
やがて、敗色が濃厚となって、突然の解散命令。行き場を失った生徒たちは、鉄の雨の中、駆け出していく…。何とも言いようのない極限だ。
資料を見ていたら、小学生の集団がガイドの方の説明を聞いていた。ガイドの方はもう年配の方だった。社会科見学だろうか? 子供たちは熱心にメモを取り、耳を傾けている。そう、このガイドさんは、実体験を語っている生き残った生徒なのであった。
こうやって、当時の体験を伝えていくことも、今だから出来るようになったらしい。それは、「自分だけすまないが助かってしまった…」という自責の念が長い間あったからだそうだ。そのガイドの方も今は高齢とかでだんだん数が減ってきているとのこと。
やがては、実体験を知らない方ばかりになっていくことになる。
資料館を出た。塔の前には今度は高校生が多数献花と祈りをささげていた。
このときばかりは、茶髪も鼻ピアスも皆真剣そのものである。
修学旅行だろうか? 
バス停に向かう。次のバスまでは10分くらい時間があった。次は平和祈念公園に向かう。
恥めてのおきなわ…34

こうやって、バスを待っている間も、けっこうレンタカーの旅行者が頻繁にやってくる。
やっぱり、レンタカーにした方が良かったかな?
しかし、バスは1時間に1本しかないとは思わなかった(苦笑)。
バスが来た。降りる人は誰もいない。というか、誰も乗っていなかった(呆)。
バスは走る。のんびり時間が流れていく。ここが最後の地上戦の舞台になったとは想像し難い。
「島唄」を作ったブームの宮沢さんは、沖縄南部の風景からインスパイアされてあの名曲を生み出したらしい。
さとうきび畑もあれば、住宅もあって、はるか彼方には海が見え、空には飛行機が浮かんでいる。
10分くらい揺られて、「平和祈念公園前」に着いた。ここはひめゆりほどにぎやかではなかった。
公園内に入った。少し歩いたら、さっきのひめゆりの塔とときと同様に、花を持ったオバアがやってきて「献花をしてちょうだいな、ハイ!」と言って俺に花を掴ませた。
ここでも断る間もなく300円払った(呆)。
ひょっとしてこんなことされやすいのかな、俺は? と思ったが、そんなことはなくて、駐車場から降りてくる観光客に次々突進しているオバアであった。
少し、安心した(笑)。
恥めてのおきなわ…34

さて、今日からは半年振りの沖縄・宮古・そしてまたまた多良間です(嬉)。
たらまあ!
数日間ブログの更新はありませんが、行ってきます。
今回のツアーは、どんなことがあるかな?


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Posted by ポンコツ34@那覇 at 03:56│Comments(0)沖縄旅日記
 
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