2011年03月06日
アイム バック
横浜の綱島。僕が幼稚園の年長のとき、世田谷区から引越ししてきて
それから埼玉の吉川へ引っ越すまでの6年間をこの街で過ごした。
ここでの僕の印象は、自分で言うのも何だが、“まだ人格が形成されていない頃”で
いわゆる自閉症のようなものであった。
他人に対して、何も要望のできない人間でしかなかった。
でも、僕は横浜・綱島の街が大好きだった。
だから、埼玉の吉川へ引っ越すことが決まったときは、大ショックだった。
あのころの武蔵野線は40分に1本の時代だ。
“超田舎じゃないか、吉川…
”
でもそんな僕の気持ちを無視するように、ポンコツ一家は引越しした。
はるか昔の話だな(爆)。

平成22年2月21日、ポンコツは再びこの街へ戻ってきた。
ほんとに変わってしまった。面影はところどころなんだけど。
でも、鶴見川の土手を歩いていれば、自閉症時代の僕がよみがえってくる。
ここでの滞在は約2ヶ月の予定であるね。
でも嬉しくて仕方がない。
一生鹿児島の田舎にいるつもりだったから。
そのつもりで“夜逃げ”したのだから(笑)。
でも、僕は目覚めた。覚醒したのだ。
安住・安定・ほどほど・愚痴・防衛・投げやり・適度・マンネリ…。
このような日々から脱却して、もう一度ほんとにポンコツらしさを
取り戻すために僕は綱島にやってきた。
もちろん、根底にあるのは沖縄
への想い。三線
への想い。
うまくミックスさせながら、今後の人生を楽しく突っ走ろう。
AWAKE…、この言葉は僕の今年のテーマ。
その言葉のとおり、ポンコツは目覚めたよ。
さあ、三線
でも弾こうか(笑)。
それから埼玉の吉川へ引っ越すまでの6年間をこの街で過ごした。
ここでの僕の印象は、自分で言うのも何だが、“まだ人格が形成されていない頃”で
いわゆる自閉症のようなものであった。

他人に対して、何も要望のできない人間でしかなかった。
でも、僕は横浜・綱島の街が大好きだった。
だから、埼玉の吉川へ引っ越すことが決まったときは、大ショックだった。

あのころの武蔵野線は40分に1本の時代だ。
“超田舎じゃないか、吉川…

でもそんな僕の気持ちを無視するように、ポンコツ一家は引越しした。
はるか昔の話だな(爆)。

平成22年2月21日、ポンコツは再びこの街へ戻ってきた。

ほんとに変わってしまった。面影はところどころなんだけど。
でも、鶴見川の土手を歩いていれば、自閉症時代の僕がよみがえってくる。
ここでの滞在は約2ヶ月の予定であるね。
でも嬉しくて仕方がない。
一生鹿児島の田舎にいるつもりだったから。
そのつもりで“夜逃げ”したのだから(笑)。
でも、僕は目覚めた。覚醒したのだ。
安住・安定・ほどほど・愚痴・防衛・投げやり・適度・マンネリ…。

このような日々から脱却して、もう一度ほんとにポンコツらしさを
取り戻すために僕は綱島にやってきた。
もちろん、根底にあるのは沖縄


うまくミックスさせながら、今後の人生を楽しく突っ走ろう。
AWAKE…、この言葉は僕の今年のテーマ。
その言葉のとおり、ポンコツは目覚めたよ。
さあ、三線

Posted by ポンコツ34@那覇 at 22:46│Comments(0)
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