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2007年10月21日

それでも宮古か? 多良間か? たらまー最終回

車を借りていったん「あだん」まで戻った。
ここで荷物をまとめたり、作業着を梱包したり。
色黒の中年男にもらった、ドラゴンフルーツはそのまま持っていこう。
検疫は大丈夫だったよね?
部屋のかぎを引き渡し、南の方角へ車を走らせる。
夢の愛車・アベニールは中古えで10万で買ったとのことだが、
師匠のボロ軽トラックや、美和子ママのボロ軽自動車よりははるかに快適だ(笑)。
たらまゆがふランド(まだ営業してるのか?)を過ぎて、「報恩の碑」に到着した。
それでも宮古か? 多良間か? たらまー最終回

ここは、2年前初めて多良間にやってきたとき、モネが案内してくれた場所だ。
あのときは、モネが住んでいるという理由だけで多良間に来たので、
こういった名所史跡には興味がなかった。
この2年ですっかり沖縄病が進行した俺は、多良間病にも侵されているということだけは
わかったね(苦笑)。

時は江戸時代、この地に岩手県宮古の漁船が漂流してきた。
漂流中ずっと飲み食いできず着の身着のままの船員たちを
当時の多良間人は丁重にもてなしたという。
その事実が後世、関係者に知られることとなり、多良間村と岩手県の宮古市は
友好都市の関係になったとのこと。
それでも宮古か? 多良間か? たらまー最終回
思えばこのポンコツ君は、初めてのひとり旅(宿泊を伴う)は岩手の宮古だった。
この世の極楽とも称された浄土が浜をはじめ、見所が多かった岩手の宮古。
あのとき、まさか20年経って南の宮古に興味を持ち何度も通うように
なるとは、ほんと予想していなかったな。
まあ、ポンコツのでたらめな人生の副産物かもしれないが。
海を眺めながら、“これでよかったのかな? よかったのかな”
と自問自答するのであった。
あの海の向うは石垣島だ。ちょっとここは石垣へ
新しい発見を探しに行ってみようか。

それでも宮古か? 多良間か? たらまー最終回
そろそろ飛行機の時間だ。空港へ向かおう。
島を北上し師匠と夢が居る畑のそばまで来た。
ああ、よく見える。ふたりでキビ苗を植えているね。
機械もよく稼動しているようだ。
師匠たちは作業に集中しているのか、俺の存在には気付かない。
“将来ここに住むために、一時離れますよ。その日までお元気で…”
そんな思いを込めて、クラクションを鳴らし♪赤、その場所を走り去った。
このクラクションは、どう捉えてもよい。
それは、再会の祈願かもしれないし、ひょっとしたらとの決別かもしれないしね。
いずれにせよ、一時、鹿児島で現実に向き合おう。
その日まで、多良間よさようなら…。ぐすん
それでも宮古か? 多良間か? たらまー最終回




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Posted by ポンコツ34@那覇 at 20:54│Comments(0)多良間島
 
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