2010年03月02日
多良間に居るのか? たらまー9
野村千代さんの訃報を知って、残念な気持ちを抱きながら朝食をとっている。
自分の部屋に置いてある、3年前のコンクール後に【れすとらんのむら】で
師匠や師匠の弟子、そして千代さんと撮影した記念写真を思い出した。
師匠が、写真撮影後B5サイズに引き伸ばして、さらにパウチまでしてくれたな。
普段の、“ネジが1本外れている状態”の師匠とは思えない気配りだが(爆)。
ここで話が脱線するが、多良間で師匠と、野村千代さんの話題になった会話を再現しよう。
忘れちゃわないうちにね。
「師匠? 野村さんはお亡くなりになられてたのですね。今朝の新聞で知りました」
「今朝の新聞か?」
(師匠の家は聖教新聞なので…)
「そうです。宮古空港で食事していて、新聞呼んでたら千代さんの記事が出ていました。
3年前に聞かせていただいたエピソードが載っていました」
「僕はね、去年千代さんの訃報を知ったときはね、急用でお葬式に立ち会えなかった。一月くらい
してかな、宮古へ行ってね。そうれすとらんね。そこで、息子さん(現在の経営者)に面会したいって店の従業員
に依頼したらね、最初はつっけんどうな対応だったね」
「そうでしたか…」
「それでね、息子さんに取り次いで頂いたらね、息子さんは“あの渡嘉敷さんですか! 母は生前渡嘉敷さんの
ことをすごく気にかけていました。渡嘉敷さんは実母のように私を慕ってくれたって”ね」
「でね、ポンコツ君。店にねすぐ息子さんが飛んできて、私は千代さんが生前過ごした部屋に通されてね。
そこで始めてお焼香をあげることができた…。千代さんは、ほんとに私の味方だった…」
「師匠、惜しい方を亡くされましたね」
「そうだ。あのような方はもう出てこないだろう…」
ふたりでビール
を飲みながらの会話であった。

自分の部屋に置いてある、3年前のコンクール後に【れすとらんのむら】で
師匠や師匠の弟子、そして千代さんと撮影した記念写真を思い出した。
師匠が、写真撮影後B5サイズに引き伸ばして、さらにパウチまでしてくれたな。
普段の、“ネジが1本外れている状態”の師匠とは思えない気配りだが(爆)。
ここで話が脱線するが、多良間で師匠と、野村千代さんの話題になった会話を再現しよう。
忘れちゃわないうちにね。
「師匠? 野村さんはお亡くなりになられてたのですね。今朝の新聞で知りました」
「今朝の新聞か?」
(師匠の家は聖教新聞なので…)
「そうです。宮古空港で食事していて、新聞呼んでたら千代さんの記事が出ていました。
3年前に聞かせていただいたエピソードが載っていました」
「僕はね、去年千代さんの訃報を知ったときはね、急用でお葬式に立ち会えなかった。一月くらい
してかな、宮古へ行ってね。そうれすとらんね。そこで、息子さん(現在の経営者)に面会したいって店の従業員
に依頼したらね、最初はつっけんどうな対応だったね」
「そうでしたか…」
「それでね、息子さんに取り次いで頂いたらね、息子さんは“あの渡嘉敷さんですか! 母は生前渡嘉敷さんの
ことをすごく気にかけていました。渡嘉敷さんは実母のように私を慕ってくれたって”ね」
「でね、ポンコツ君。店にねすぐ息子さんが飛んできて、私は千代さんが生前過ごした部屋に通されてね。
そこで始めてお焼香をあげることができた…。千代さんは、ほんとに私の味方だった…」
「師匠、惜しい方を亡くされましたね」
「そうだ。あのような方はもう出てこないだろう…」
ふたりでビール


Posted by ポンコツ34@那覇 at 21:16│Comments(0)
│多良間島