2006年03月05日
多良間へ行くのか? たらまー38
集落の外れに来て、パティオへ戻ることにした。
途中、モネのボロ家を発見したので、立ち寄った。朝からもう
の練習をしている。
途中、モネのボロ家を発見したので、立ち寄った。朝からもう


土曜日師匠に教わっていた早弾きの曲であろう。
「ポンコツちゃん、
は師匠に借りるから10時ごろ迎えに行くよ。今日は鹿児島まで帰れそうかい?」
「そうか、それは助かる。さっきテレビ見ていたら奄美に迫っているらしいから、那覇で足止めだろうな。那覇までは行かないとね」
とのことで、モネ宅を後にし、パティオへ戻る。
意外に時間は少なくて、部屋の片付けと荷造りで約束の10時になってしまった。
モネがボロトラックで迎えに来た。
さて、名残惜しいが空港へ向かわないといけない。ボロトラックは出発した。
途中、教育信号を過ぎ、ゆまちゃんの通う中学校前を通過。
嗚呼、ゆまちゃんの唄
三線を聴きたかったが…。
そんな俺の感傷の度合いを知ってか知らずか、モネは島の南へ車を走らせる。
「まだ時間はあるだろ? 空港着いても何もないぞ(苦笑)」
向かったのは、「報恩の碑」である。
その昔岩手県宮古市の漁船が多良間島近海で座礁した際、多良間島の島民に助けてもらったことがきっかけで、現在に至るまで、多良間村と宮古市は姉妹都市の関係であるそうだ。お互いの小中学生の受入などもしているそうで、ゆまちゃんも宮古市にホームステイに行ったことがあるそうだ。
小さな白砂のビーチが俺たちを向かえてくれた。
台風の影響か、まだ海は荒れている。風も強い。
天気が良ければこの地から石垣島が見えるとのことであるが、今回は何も見えない。
石垣島かあ、昨年行ったね。また行きたい、今年も10月のコンクールのころどうかなあって思っていたけど、ふところには勝てないね。
トラックに乗る。島の南側に沿って走る。車は一台もすれ違わない。歩道付きの立派な道路も宝の持ち腐れだ。
多良間空港に着いた。道路に平然とモネは車を停めた。何も注意されないのが多良間らしい(苦笑)。
RACカウンターでチェックイン。発見は手動である。座席シールを張ったチケットを渡される。「宮古から那覇の分は宮古で発券してもらってください。荷物は那覇までここで預かれます」とのことだった。
全ての荷物を預けた。
もうセキュリティチェックの時間らしい。出発までは20分足らずだ。
「ポンコツちゃん、これ飛行機の中で読んで」
と言ってモネは本を2冊くれた。
「東京の沖縄人」と「三線を弾こう」という本だった。
「ありがたくもらうよ。モネのおかげで多良間島に来ることが出来て感謝している。10月の石垣島でのコンクール、吉報を期待している
。師匠や皆さんにもよろしく伝えて欲しい」
と言って、俺はモネに別れを告げ、
に乗り込んだ。
「ポンコツちゃん、

「そうか、それは助かる。さっきテレビ見ていたら奄美に迫っているらしいから、那覇で足止めだろうな。那覇までは行かないとね」
とのことで、モネ宅を後にし、パティオへ戻る。
意外に時間は少なくて、部屋の片付けと荷造りで約束の10時になってしまった。
モネがボロトラックで迎えに来た。
さて、名残惜しいが空港へ向かわないといけない。ボロトラックは出発した。
途中、教育信号を過ぎ、ゆまちゃんの通う中学校前を通過。
嗚呼、ゆまちゃんの唄

そんな俺の感傷の度合いを知ってか知らずか、モネは島の南へ車を走らせる。
「まだ時間はあるだろ? 空港着いても何もないぞ(苦笑)」
向かったのは、「報恩の碑」である。
その昔岩手県宮古市の漁船が多良間島近海で座礁した際、多良間島の島民に助けてもらったことがきっかけで、現在に至るまで、多良間村と宮古市は姉妹都市の関係であるそうだ。お互いの小中学生の受入などもしているそうで、ゆまちゃんも宮古市にホームステイに行ったことがあるそうだ。
小さな白砂のビーチが俺たちを向かえてくれた。
台風の影響か、まだ海は荒れている。風も強い。
天気が良ければこの地から石垣島が見えるとのことであるが、今回は何も見えない。
石垣島かあ、昨年行ったね。また行きたい、今年も10月のコンクールのころどうかなあって思っていたけど、ふところには勝てないね。
トラックに乗る。島の南側に沿って走る。車は一台もすれ違わない。歩道付きの立派な道路も宝の持ち腐れだ。
多良間空港に着いた。道路に平然とモネは車を停めた。何も注意されないのが多良間らしい(苦笑)。
RACカウンターでチェックイン。発見は手動である。座席シールを張ったチケットを渡される。「宮古から那覇の分は宮古で発券してもらってください。荷物は那覇までここで預かれます」とのことだった。
全ての荷物を預けた。
もうセキュリティチェックの時間らしい。出発までは20分足らずだ。
「ポンコツちゃん、これ飛行機の中で読んで」
と言ってモネは本を2冊くれた。
「東京の沖縄人」と「三線を弾こう」という本だった。
「ありがたくもらうよ。モネのおかげで多良間島に来ることが出来て感謝している。10月の石垣島でのコンクール、吉報を期待している

と言って、俺はモネに別れを告げ、

Posted by ポンコツ34@那覇 at 02:04│Comments(0)
│多良間島