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2007年07月15日

この道を行けば、那覇へ宮古へ…16

渡嘉敷ファミリーは、多良間に居るときと同じテンションで
メニューの段階から“争い”をはじめた。
お弟子さんのうち、学校の先生は、宮古に実家があるとのことだったので、
もう一人の中年男の面前に座った。
中年男(以下、池海さんと称す)が声をかけてきた。
「渡嘉敷先生とはどういうつながり?」
「僕の友人が多良間に一時住んでまして、遊びに来たのがきっかけです」
「それって、モネ君のことじゃないですか? 元気にしてるかな? 彼とはね、コンクールの新人賞を
一緒に受けた仲だよ。ふたりは“なりやまあやぐ”だったから」
「そうなんですか? モネを知ってましたか?びっくり!
「モネ君は有名人サー! 多良間でモネ君知らなかったらもぐりサー!」
改めてモネの多良間での功罪? を知った思いだな(笑)。

この道を行けば、那覇へ宮古へ…16
さて、もめていた渡嘉敷ファミリーも、やっとメニューが決まり、乾杯だ。
もちろんポンコツ君と美和子ママは生ビールビールジョッキで(笑)、師匠や池海さんははじめから泡盛を飲んでいる。
ボトルがキープしてあったようだが、これは美和子ママの分だ(呆)。
いつものように、このファミリーは良く食べ良く飲み、良くお互いを罵倒する(笑)。
ヤンママ夢は一年前とは違い、子供を罵倒することもなく、あやしつけてはご飯を食べさせている。
「リリー? ポンコツのおっちゃんに抱っこしてもらいな」
僕も「リリー、リリー、お兄さんのところへおいで?おすまし
と言ったけど、風貌が怖いのか(苦笑)、近寄ってはくれない。
それを見てみんなで笑っている。ニコニコ
渡嘉敷ファミリーは、ゆまの高校入学後は、師匠と夢親子が多良間に残留し、
美和子ママとゆまが宮古に住んでいるという、二重生活であるようで、
今日は久々の家族再会のようだ。
師匠は、かわいい孫には目がないようで、リリーとまりかを交互にあやしては抱っこして
ご飯を食べさせている。

うん、今年の一月に多良間に来たときは、このファミリーの良い意味での“ルーズ加減”に
付いていけないと思っていた自分であったが、
今思うと、それは憧れの裏返しだったのかもしれない。
我がポンコツ家は、「食事は黙って食べろ!」の家系だったし、女性が男性に意見することすらできない
“九州・男尊女卑”の思想が色濃く残っていたからねえ。
やっぱ、食事は楽しくみんなでワイワイするものだよ。
貧乏だって良いんだ、頭悪くたって良いんだ、おかずを床にこぼしたって良いんだ、みんなが楽しければ。
みんなと居るこのときが幸せならば。
子供が一番の宝物だ。この家では子供が一番偉いんだ。
決して父が一番で、母は主従の立場で、子供は飯を食わせてやってるんだから、居候なんだ…、嫌なら出て行け!
という考え方は間違っている。
でも、そういう家系に育ってきたポンコツ君は、この場所、渡嘉敷ファミリーと食事をしているこの場所に、
自分の憧れを見た思いがして、
しみじみとビールオリオンビール缶を飲みながら、“遠くない将来、こういう場に毎日居ることになるかもな。ここがひょっとしたら
ポンコツの“帰る場所”になるのかな…と感じていた。

場は盛り上がって、ハイテンションの美和子ママは「ポンコツ君、次も行くよ。まだOKだよね?」
「ママ? 民謡酒場へ行きたいですが」
師匠が口を開いた。「では、この次は“ぶんみゃあ”へ行きましょう。ポンコツ君、たまには息抜きサー! ショウを観に行くよ」
ぶんみゃあかあ? 懐かしいなあ。去年の2月以来だね。
あのときは、与那国島人に絡まれたが(怒)、今日はリベンジだね。


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Posted by ポンコツ34@那覇 at 13:28│Comments(0)宮古島
 
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