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2008年09月20日

多良間経由宮古でコンクールか? たらまー32

フロントで凄惨いや精算して、荷物を置かせてもらってからジロー村へと歩いた。
宮古島市役所を過ぎ、小学校が見え、裁判所や地元の新聞社を通り過ぎる。
この通りに、宮古の行政や商業の施設が集まっているようだ。
モネとふたりでとりとめのない会話をしながら、歩いていく。
飲み屋も結構多い。次回以降は新しい店を開拓してみようかな。

どこまで歩くのだろう、タクシーのほうが良かったかな…って思った頃、
モネが左の路地に曲がった。
「ここまでくればあと5、6分サー」と言った。
民間の職業紹介所があった。どうやら県外の求人案内のようだ。
やっぱり島では仕事がないのであろう。移住の夢に対する現実を見た思いだ。
ここまで歩いてくる途中でも、シャッターの閉まった店がけっこうあったし、
昔は建物があったのだろうが、キレイに更地になっている場所もあったし、
宮古の現実を知った思いだな。がーん
「ポンコツ? ここがジロー村さ。事務所に入って大丈夫だよおすまし
入り口を開け、「昨日民謡コンクールで表彰状の修正を頼んだポンコツですが…」と言うと
「あっ、これですね。合っていますか?」と沖縄顔の女性から表彰状を手渡された。
「今度は誤植はありません。ありがとうございました」
と言ってここを後にした。
多良間経由宮古でコンクールか? たらまー32
「モネはこのあとどうするのかい?」
「石垣へ戻るけど夕方まで飛行機はない。伊良部島へ行ってみようかな?」
「そうか、伊良部島かあ。自分も機会があったら行きたいね」
再び同じ道を歩いて旅館へ戻る。
このブログでも何度も言っているが、モネとの出会いが今の俺の根幹をなしている。
それは否定しない。
ここまでの、沖縄での出会いとか三線三線、コンクールまでの道は、モネの敷いてくれたレールにうまく
自分が乗っかってきた結果であろう。
そろそろ、モネ・コネクションで築き上げた沖縄・宮古・多良間への道ではなく、
独自のルートでこの島に、いやこの島になるかはわからないが、何かを作っていかないといけないな。
“これがモネとの最後になるかな?ぐすん
そんなことを思いながら、旅館までの道を歩いた。
「ポンコツ? 鹿児島まで気をつけて帰ってな。僕はこれから伊良部島へ行くよ。おいしい魚さかなでも食べてくるサー!ニコニコ
モネは平良港のほうへ歩き出した。
“これがモネとの最後になるかな?がーん
そんな予感がしたのか、モネの姿が坂を下って見えなくなるまで、控えめに手を振り続けた。パー
そして、タクシーをつかまえて空港へ向かった。
今回は、美和子ママもゆまちゃんも見送りには来てくれなかった。ぐすん
残念だが仕方がない。
また来る日までさよならだね。
宮古空港から飛行機飛行機が離陸した。しずかに誰に対してでもなく、
手を振り続けた。
ツアーは終わりではない。那覇でもう一泊あるのだからね。


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Posted by ポンコツ34@那覇 at 11:46│Comments(0)宮古島
 
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