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2007年08月02日

この道を行けば、那覇へ宮古へ…26

着物を脱いで普段着に戻った。
師匠は、この後多良間の柿鼻先生の順番でも伴奏をするので、再びステージ裏へ行った。
自分は、客席に向かい、空いている席に座った。
けっこう、ギャラリーが多くて空いてる席も少なかった。
同じ研究所の人や、自分の身内が出るときは、みんな応援しているようだ。
新人賞は、豊年の歌・米のあら・なりやまあやぐ・家庭和合 の4曲が課題曲となっている
のだが、自分を含め約7割の人は豊年の歌で受験し、残る2割の人がなりやまあやぐであったようだ。
米のあらを歌っている人も一人居たかな? 
でも、家庭和合は誰もいなかったと思う。
家庭和合は、別の主催でのコンクールでは優秀賞での課題曲であるから、
受験者がこの曲を選曲しないのも、無理はない。
さて、審査の仕方であるが、10人くらいの審査員が項目はわからないが、
どうやら○×でもつけているのかな。ヒミツ
審査の紙は一人一枚ずつのよう。
ステージから見て左側、客席の右側に、テーブルがあって、そこには制服を着た女子高生が二人居る。
この娘たちは何だろう? って思ってたら、出演者が1曲歌うたびに、審査員のところへ
審査の紙を回収し、で、また新しい審査の紙を置いていってることがわかった。
この道を行けば、那覇へ宮古へ…26
柿鼻先生の出番になった。
先生は、自分とは違ってずいぶん余裕が感じられる。
聞いていてどこも気になるところもなかった。
あとで本人に聞いたところ「けっこうあがりましたし、間違えましたよおすまし」と謙遜していたが。
いろんな人が出てくるが、それなりにみなうまくまとめている。
新人賞の審査が終わった。時計は1時ごろを指している。
アナウンスが聞こえる。
「このあと、普及奨励賞新人賞は審査の結果を発表します」


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Posted by ポンコツ34@那覇 at 21:30│Comments(0)宮古島
 
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