2007年08月11日
この道を行けば那覇へ、宮古へ…32
少しの休憩のあと、優秀賞と最高賞の発表となった。
司会者席に協会の会長が向かい、アナウンスをはじめた。
優秀賞から、番号で合格者を発表していく。
さすがに優秀賞からは全員合格というわけではない。
番号が読み上げられるたびに「おー!
」とか「わーい、やったね!
」とか歓声と拍手が聞こえる。
優秀賞は、池海さんの番号も読み上げられた。ほんと、良かった。
で、次は最高賞の番だ。
最高賞は、自分の予想とほぼ同じだったかな?
迫力ある「伊良部とーがに」を披露してくれた50歳くらいの男性や、
最後に「内寝間のなかがま(座敷用)」を披露してくれたきれいな女性(笑)は、
見事に合格!
合格者はわずかに5名であった。
ゆまちゃんは、残念ながらこの5名には入れなかった…。
「この後は表彰式をやります。みなさん、大事な場面ですよ。すでに普段着に着替えている方も
いるようですが、授賞式は出来れば着物を着てください。正装が大事なのですよ。
それに、マスコミの取材もあるかもしれませんから」
この日は、地元のケーブルテレビのカメラがあったような気がしたが…。
ただ、これはほんと自分は一番残念に思っているんだけど、
地元の新聞には合格者名は載らなかったようなんだ。
ネットだと、去年までは載っていたからね。
(今年はもう2ヶ月近く経つけどネットへの掲載はされなかった。新聞は記載されたかもしれないけど
詳細はわからない。あれば、嬉しかったね)

少しの時間が経って、表彰式となった。
着物にもう一回着替えようかと思ったが、「もう着替えなくて良いですよ。合格の剥奪があるわけじゃないから」
と師匠に言われたので、そのまま普段着
で過ごした。
新人賞の表彰になり、自分も舞台へ進んだ。
ひとりひとりに立派な額縁に入った表彰状が手渡されていく。
応援のギャラリーたちは、お目当ての人の表彰になると
拍手や歓声
で応えてくれている。
自分の番になった。「賞状 新人賞 ポンコツ殿 以下同文であります。おめでとうございます」
拍手も歓声もなかったが
、さすがに賞状をもらうと、嬉しさが込み上げてくる。
思えば、結婚話の挫折から、三線
と出会い、モネによって多良間へ導かれ、
師匠と出会い、付きっ切りの稽古はほとんどない、まあほぼ独学に近い環境の中ではあったが、
あの破局から3年経って、今日ひとつの成果を出せたことには、嬉しいという気持ちでいっぱいだ。
ただ、これは新たなるスタートだ。来年結果を出して初めて「唄者」への第一歩が
踏み出せるかもしれないな。
ただ、ただ、この年齢になって、好きな楽器を弾いて歌ってで、結果を残したことは
同級生や、昔の音楽仲間たちに、自分が「まだ現役」だと示せたような気がして
それを、別に昔の仲間はどうも思っていないだろうが、「誰にも文句は言わせない…」という
思いだけは芽生えているね。
表彰式は続く。
多良間の柿鼻先生は、コンクールで自分の出番が終わってからは、顧問の部活の試合があるとのことで
不在だったので、自分がもう一回舞台に上がり、代わって賞状を受け取った。
優秀賞のときも、池海さんは杖を突かないといけないので、代わりに賞状を受け取った。
「来年は優秀賞でも…」その思いが芽生えてきた。
表彰式も終わり、コンクールはすべて終了した。
夢や子供たち、そしてゆまちゃんも表彰式は見ることなく帰宅したようだ。
師匠から「この後はみんな合格したし祝賀会
をやりますよ。7時にれすとらんのむらに来て下さい。
渡嘉敷の名前で予約してありますから」とのことで、一旦荷物をまとめて宿へ戻ろう。
司会者席に協会の会長が向かい、アナウンスをはじめた。
優秀賞から、番号で合格者を発表していく。
さすがに優秀賞からは全員合格というわけではない。
番号が読み上げられるたびに「おー!



優秀賞は、池海さんの番号も読み上げられた。ほんと、良かった。
で、次は最高賞の番だ。
最高賞は、自分の予想とほぼ同じだったかな?
迫力ある「伊良部とーがに」を披露してくれた50歳くらいの男性や、
最後に「内寝間のなかがま(座敷用)」を披露してくれたきれいな女性(笑)は、
見事に合格!
合格者はわずかに5名であった。
ゆまちゃんは、残念ながらこの5名には入れなかった…。

「この後は表彰式をやります。みなさん、大事な場面ですよ。すでに普段着に着替えている方も
いるようですが、授賞式は出来れば着物を着てください。正装が大事なのですよ。
それに、マスコミの取材もあるかもしれませんから」
この日は、地元のケーブルテレビのカメラがあったような気がしたが…。
ただ、これはほんと自分は一番残念に思っているんだけど、
地元の新聞には合格者名は載らなかったようなんだ。
ネットだと、去年までは載っていたからね。
(今年はもう2ヶ月近く経つけどネットへの掲載はされなかった。新聞は記載されたかもしれないけど
詳細はわからない。あれば、嬉しかったね)
少しの時間が経って、表彰式となった。
着物にもう一回着替えようかと思ったが、「もう着替えなくて良いですよ。合格の剥奪があるわけじゃないから」
と師匠に言われたので、そのまま普段着

新人賞の表彰になり、自分も舞台へ進んだ。
ひとりひとりに立派な額縁に入った表彰状が手渡されていく。
応援のギャラリーたちは、お目当ての人の表彰になると
拍手や歓声

自分の番になった。「賞状 新人賞 ポンコツ殿 以下同文であります。おめでとうございます」
拍手も歓声もなかったが


思えば、結婚話の挫折から、三線

師匠と出会い、付きっ切りの稽古はほとんどない、まあほぼ独学に近い環境の中ではあったが、
あの破局から3年経って、今日ひとつの成果を出せたことには、嬉しいという気持ちでいっぱいだ。
ただ、これは新たなるスタートだ。来年結果を出して初めて「唄者」への第一歩が
踏み出せるかもしれないな。
ただ、ただ、この年齢になって、好きな楽器を弾いて歌ってで、結果を残したことは
同級生や、昔の音楽仲間たちに、自分が「まだ現役」だと示せたような気がして
それを、別に昔の仲間はどうも思っていないだろうが、「誰にも文句は言わせない…」という
思いだけは芽生えているね。
表彰式は続く。
多良間の柿鼻先生は、コンクールで自分の出番が終わってからは、顧問の部活の試合があるとのことで
不在だったので、自分がもう一回舞台に上がり、代わって賞状を受け取った。
優秀賞のときも、池海さんは杖を突かないといけないので、代わりに賞状を受け取った。
「来年は優秀賞でも…」その思いが芽生えてきた。
表彰式も終わり、コンクールはすべて終了した。
夢や子供たち、そしてゆまちゃんも表彰式は見ることなく帰宅したようだ。
師匠から「この後はみんな合格したし祝賀会

渡嘉敷の名前で予約してありますから」とのことで、一旦荷物をまとめて宿へ戻ろう。
Posted by ポンコツ34@那覇 at 17:24│Comments(0)
│宮古島