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2006年05月27日

嗚呼、石垣島…16

司会者は「新人賞の部、審査番号40番」(仮に)とだけ紹介し、出演者は審査席に一礼して演奏を始める。このコンクールは課題曲が決められているので、どの出演者も同じ曲を演奏する。
10人も聴いていれば、僕の耳にも自然に演奏曲のフレーズを覚えてしまう。
「嗚呼、あの人音程外してるな…、とか、嗚呼、三線の調弦が違う」とかも割りと耳についた。
そこは、俺のギター少年時代からの耳のキャリアだろうか(爆)。
当然審査員の先生方には一発でわかるであろう。
モネから聞いた話では新人賞の部はさほど審査が厳しくなく、「流す」ことも多いそうだが、
これが第二段階の優秀賞、最上級の最優秀賞になると、間違いが発覚すれば容赦なく「退場」になるというのだから、フォーク(今や死語か?)や、ロック系のコンクール(昔はポプコンとかバンドエクスプロージョンとかがあって、俺も受けていた。当然予選落ちだがうわーん)なんかよりはるかに厳しいことは間違いない。
だからこそ、権威も生まれるし、自信も付くのだろう。

嗚呼、石垣島…16
一旦外に出た。
会場の外に出たら、モネとすれ違った。モネはまだ私服だった。
「ポンコツちゃん、今何番くらいだい? まだ時間あるから散歩でも行こう」
「本番前なのに、練習しなくていいのかい?」
「余裕だから大丈夫さあ!」
ってな調子のモネだった。びっくり!
モネは自分の所属する三線研究所の人たちがたむろしている場所に三線を置いて、俺と散歩に行くことになった。

ちなみに、バンドエクスプロージョンでは、自分だけど、「ベストボーカル賞」を取ったことがあったなあ。
但し、埼玉県の楽器店での予選レベルの話だが(爆)。
1988年だったと思うから、もう18年前の若かりし頃の唯一の「結果」だな。ベー
あの頃、全く実力もないし練習もひまさえあれば…ってなところまではやってなかった気がする。
今、三線はひまさえあれば手にするからなあ。
今の三線に対する気持ちがあの頃にあったなら、ひょっとして人生も変わったかも。ぐすん
まあ、いいや、今が一番だと思うしかない。
沖縄・三線との出会いは回り道じゃない、これが一番の近道だったんだ…。おすまし


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Posted by ポンコツ34@那覇 at 08:13│Comments(0)石垣島
 
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